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概要

塩川伊一郎評伝

の漏るを見たり。今将に何處に向って進むべき、「鳴乎、世の中は実に頼み少なきものなり」と嘆息せしが、行くともなく、帰るともなく、口ハ街中を彷徨居る間、誰とはなしに「鬼の拳にも當って見よ」との諺を知らずやと嘲けるが如く励すが如く呼びかくる者ある乎のやうに感じたり。斯く感ずると同時に「高が知れた砂糖七十俵、僅か七十円許りのもの、借さぬと言ふ店ばかりでもあるまい」と思ひ直して勇気を鼓し「御免なさい、チトお願ひが」と暖簾を潜って飛びこみたるは、小山徳三郎氏の店なりき。斯くて事情を話すや、解りの早い小山徳三郎氏は、「それは気の毒だ」と同情を寄せて直ちに快諾したり。是に於て砂糖七俵を借り入れて罐詰製造の後持ち来る旨を誓ひ、漸く罐詰の製造に着手するを得たり。砂糖仕入れに付て生じたる此困難は、却つて氏をして激励せしむるものありたるにより、以後一段事業に熱中し、一心に罐詰を製造しては小山氏方に送り、送りては砂糖を借り来り、繰り返しく根気克く行ふ間に沢山の桃罐イチゴ罐を製造するを得、製造したる桃罐・イチゴ罐は小山氏に依って売り拡められ、頓に好評を博するに至りて事業は次第に有望となれり。然も又、一の困難に陷れり。桃の収穫年に増加し、罐詰製造の盛大に赴くに隨ひ、庖丁にて桃の皮を〓き桃の核を取りては間尺に合はざることとなれるもの是なり。知らず、如何にして此困難に打ち勝ちしぞ。鑵詰製造に就て皮〓き、核抜の手間を省略せむがため苦心に苦心を重ね、工夫に工夫を費したる後、(七)