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概要

塩川伊一郎評伝

先ず長野市を目的とするに決したり、長野市は縣下第一繁栄の土地、官史始め紳士紳商も比較的に多ければ、定めて買い人も多かるべしとの考へなりしなり。然るに、いよく生桃を携へて長野市に来りたる處、当時の長野市は尚未だ一つ二銭乃至三銭と言ふ桃を希望する程の人を沢山に有するに至らず、極言すれば洋桃の美味を知らず、所謂食はず嫌ひの者多かりし也。乃ち目的ガラリと外れて漸くのことに汽車賃丈に売却し、ホウくの体にて帰宅したり。帰宅後販路拡張に就て再び講究せるが、別に名案も浮ばざりしを以て、斯る時には常に其の意見を叩くを例とせる、小諸義塾主木村熊二氏を訪ふて、「桃は沢山に結るやうになりしも偖其の売り先と来ては、軽井沢の外なく多くの生桃を持て餘し居る」旨語りしに、木村氏は「東京に出しては如何」と教へたり。是に於て氏の父は、東京に輸出を試むることとなりしが、長野市に於て失敗したる例もあり、長野市よりは道程も遠きを以て失敗の際困却せぬ用意を為し、先ず少々の生桃を持ち行くこととして、蜜柑箱に詰めたるもの三個丈を携へて出発せり。斯くて上野にて汽車より下りしが、物は試し、当つて見んと、上野停車場の傍に青物屋ありしを幸ひ、生桃を容れたる蜜柑箱を提げて飛び込みたり。東京商人と初取引の結果、吉乎凶乎、木村氏及び父は其の吉凶如何を心配し居りたるに、「東京には桃がない直ぐ送れ」と電報来れり。多くを語るに及ばず、是れ丈にて初取引の結果如何なりし乎を推察するに足る。それより東京は勿論横浜にも送り出したるに、一つ五銭位にも売れたるより、前途益々有望なりと喜び勇んで頻りに生桃を送り出したるに、幾許もなくして又々一頓挫を来せり。東京の問屋は最初の中は何れも好