ブックタイトル塩川伊一郎評伝
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塩川伊一郎評伝
「学若無成死殖不還」と歌ふてき郷関を出でたる時の志を屈して、帰郷せざるを得ざるに至れり。然も氏の読書癖は依然として減ぜず、父への土産を兼ね自分が帰郷後の慰みにもと購ひ帰れるものは『舶来蔬菜果樹栽培便覧』なりき。唯是一篇の小冊子のみ、然も氏の父及び氏をして園芸に志すに至らしめたるは、即ち是なりき。氏の父は『舶来蔬菜果樹栽培便覧』を繙くや、忽ちにして面白きものを発見せりとて氏に語るに、林檎栽培の有益なることを以てし・試験的に之を栽培せんと欲する旨を告げたり.氏の父は元来接木の名人として、柿・梅等の接木には最も妙を得、居村及び小諸町の人々の依頼を受けて、柿.梅等の接木を行ひたること多かりき。即ち園芸に於ては兼て多少の趣味を感じ居たりしを以て、同書を読むや早くも林檎栽培の有益なることを見出したりしなり。氏も父の意見を賛成して、東京三田育種場より苗木を取り寄せ、親木となしてはだんくに繁殖せしめ、五反歩許りの土地に四百本程栽培したり。此間氏をして林檎栽培に付て別方面に向って、一大飛躍を試むべく決意せしめたり。動機は即ち氏と村内青年との衝突に在りて、旧思想を墨守せる青年輩と新思想を輸入せんとする氏とは、總ての事に於て意見は合はざるものありしなり。而して多勢に無勢、氏は遂に村内の青年輩より絶交を宣告せられたり。されど自ら信ずること深く、自ら恃む所大なる氏は、村内青年輩の為すがままに任せ甘んじて、此の絶交の宣告を受けたり。氏の父は氏をして林檎栽培に従事せしむべく、一千餘円の資本を與へて、小県郡鹿教湯の奥即ち三才(二)