ブックタイトル塩川伊一郎評伝
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塩川伊一郎評伝
『信濃毎日新聞』に連載された記事助けたり。父母の職業斯の如くなりしを以て、普通なれば小学校卒業後の氏は、手斧を携へて父に従ふ乎、鍬を擔ふて母に倣ふ乎、二者其の一を選ぶべかりしに、生来読書好きなる氏は、工ならず又農たらずして、小諸町なる中山義塾に入り、漢籍を修めたり。中山義塾は旧小諸藩士の設立せしもの、資財家の子弟にあらざれば入塾せざる程の慣例なりしを以て、氏は入塾早々「職人の子がアンナ本を読んで何にする」との冷評を受くるに至れり。然も氏は日夕漢籍を学びて倦まず、学ぶこと二、三年更に志を立てて上京せるは十七才の時にして、翌年一月六日より本郷弓町なる原洋義塾に入り、数学と英語を学べり。時に明治十八年なりき。入学後学術の進歩見るべきものありしと雖も、不幸にして運命の手は、氏を文学界に導かず、氏をして学問を断念せしむるに至れり。他なし。従来家より受けつゝありし学資仕送りの絶えたればなり。是に於て、先に