ブックタイトル塩川伊一郎評伝
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塩川伊一郎評伝
四佐久の園芸王立志編中の一人たる可き人(明治四十一年十月二十五日『信濃毎日新聞』より)記者が茲に謂ふ佐久の園芸王とは、此頃の一府十縣連合共進会に於て、二等賞銀牌を授与せられたる洋桃罐詰の製造元、北佐久郡三岡村字森山の塩川伊一郎氏のことなり。氏の父は今より三年前黄泉の客となれり、氏の父及び氏が洋桃の栽培に志し、氏の代に至って成功し今日の地位を占むるに至れるまでには、幾多の難苦を経たるもの、其の事積歴々称す可く、宛も日疋れ活ける立志談なり。今や縣下の園芸は農会其の他の先進者に依って頻りに奨励せられ、農民亦意を園芸に傾くるに至りて、果樹蔬菜の栽培大に行はれんとす。此時に当りて園芸王塩川伊一郎氏を紹介し、且其の事業の一班を語る、蓋亦園芸を奨励する所以の道たるべし、乃ち先ず氏が如何にして園芸に志すに至れる乎を記さんに、是実に読書の賜にして、其師は『舶来蔬菜果樹栽培便覧』なりき。氏の父は大工なりき。大工といふも、タヽキ大工の類にはあらずして大工の棟梁即ち受負師なりき。故に小諸町等に出て普請の受負を為すこと少なからず。附近に顔を知られたるものなりしなり。氏の母は農業に従ひ以て生計を(一)