ブックタイトル塩川伊一郎評伝
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塩川伊一郎評伝
平成二年の夏、森山の伊一郎家の座敷二間一面に並べられた伊一郎関係の資料や掛けられている肖像画や書額に接して私の心も決った。その時は小諸の学校に在職中の身であったため、退職後にまとめることにした。『塩川伊一郎評伝』を編纂するにあたり、私は残されている資料に基くとともに、その背景となっている明治から大正期にかけての世相と佐久の地域性にたって解釈しながらまとめたいと考えた。そのために本の構成を一三つに分けた。第一部伊一郎父子の生いたちからいくつかの失敗を経て、果樹栽培・缶詰製造へと挑戦していく姿を物語風に第二部三岡村桃栽培の起源について、木村先生の文と日記を中心に、立証的な文章で第一三部『塩川伊一郎評伝』の論拠となった、木村先生や二代目伊一郎が書いた文章ヽその他新聞をはじめ多くの人々が書いた文などの資料をそのままのせた。それはこの書をできるだけ多くの人々に読んでいただき、火山灰に被れ、寒さのきびしい信州の佐久地方で、明治のはじめに米と蚕による農業に果樹栽培と缶詰工業という新しい産業をきり開いた伊一郎父子の情熱と、それを指導して下さった木村先生の卓見を正しく知ってもらいたいためであった。第二部では今まで伝えられてきたいくつもの桃栽培の起源をはっきりさせることに力をおいた。第一三部ではこの書をまとめるために使った資料の中から重要なものをのせた。それは今後佐久の果樹発達について詳しく知ろうとする人のためであり、この書が事実を基に書いた証しとしたかったからである。