ブックタイトル塩川伊一郎評伝
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塩川伊一郎評伝
四伊一郎とジャム製造について全国ジャム工業協同組合連合会から出版された『ジャムのはなし』(昭和三二・一一・一発刊)は、日本のジャム産業発展の経過を詳しく解説した本であるが、「第二部ジャム界今昔物語」の冒頭(一一一頁) には、「ジャム事業の草分け塩川」として、次のような記述が見られる。我が国で一番最初に苺ジャムが製造されたのは明治十四年で、試作したのは長野県北佐久郡三岡村の初代塩川伊一郎であったと伝えられている。当時塩川氏は若冠二十五歳の青年に過ぎなかった。息勝助氏が初代を助けて果実園芸及び苺ジャム、水蜜桃ミヨウガ等の缶詰事業に従事したのは明治二十年であった。また、『ジャムの知識』(昭和四一・七・三○ 日本ジャム工業組合発行)、『明治屋一○ ○ 年史』(明治屋発行) にも、これと同様な記述が見られる。さらに『味百年』(昭和四二・九日本食料新聞社発行)にも、