ブックタイトル塩川伊一郎評伝
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塩川伊一郎評伝
入ると寒い風が吹いていたようである。f 六日に人力車で中山道を小田井・岩村田へ向かい、松葉屋に宿をとっている。熊二と親交の深かった早川権弥宅では学校の先生や生徒を集めて演説会を行ない、臼田や岩村田の講議所で布教をしている。小諸では佐野嘉ね子の葬会の後、関五太夫を訪れているが、その後御牧が原から印内を経て芦出へ向かっている。この年の五月にも小諸で佐野・田沢、御影の柏木新一三郎などの名前が出てくるが、塩川姓は出てこない。熊二の日記には、だいじな人ばかりでなく、初めて会った人々の名前がこまやかに記されている点が重要であるが、塩川姓はまだ出てこない。熊二が小諸へ定住を決意し、家を借りるように申し込んだのが、明治二十六年四月十七日のことであり、十一月二十五日には柳沢呈三宅を借りて義塾とし、翌二十七年二月二十四日に小諸講議所の開設式をあげている。熊二はこの日記の中で果樹関係についても書いている。二十七年五月六日朝中込石山織之助氏訪問果樹園之件を相談二十八年四月八日- 林檎の種木五百本を御影村柏木新三郎方へ送らんとす。運輸不便所々奔馳せり五月一日柏木新三郎留守中に付同人宅より林檎種を送り来る、時期已に過く後園に種付く五月二日暁起林檎の種木を後園に種付、稲垣正次氏来助く