ブックタイトル塩川伊一郎評伝
- ページ
- 147/332
このページは 塩川伊一郎評伝 の電子ブックに掲載されている147ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは 塩川伊一郎評伝 の電子ブックに掲載されている147ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
塩川伊一郎評伝
二木村熊二と伊一郎との交流について木村熊二と一三岡村森山での洋桃栽培のはじまりについては、第一部でくわしく述べてきたが、まず『長野県県樹発達史』に記されている「明治二十三年、木村熊二の指導を受け、塩川貞五郎・塩川伊一郎らによって栽培が始められ… 」と書かれていることについてである。熊二は明治二十一三年にはまだ信州を訪れたことはないし、まして小諸で伊一郎らと会っていない。ここで『木村熊二日記H』によって熊二の佐久での様子と伊一郎との出会いについてくわしく述べてみよう。木村熊二が布教のため初めて佐久へ入ったのは、明治二十四年(一八九一) 十月十日のことである。品川から汽車で横川へ着いた熊二は、碓氷峠を馬車で越えて軽井沢へ入り、その夜は追分の油屋へ宿をとった。小諸へ入ったのは十七日で、角田真平と会った後、荒町の関五太夫方へ滞在し、布教のかたわら布引山などを訪れ、二十三日に汽車で軽井沢へ向かい、佐藤万平方(万平ホテル) へ泊り、その翌日に碓氷峠を越えて横川へ向かっている。この時は伊一郎らに会った記録は見い出せない。二回目の来信は明治二十五年一月十四日からである。碓氷峠は美しく晴れていたが雪が舞い、信州に