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概要

塩川伊一郎評伝

六浅間の煙とともに第二次世界大戦によって統合された缶詰工場は、戦後になっても復興されなかったが、三岡の桃づくりは復活した。木村熊二の教えを受けながら、伊一郎父子ら八人の同志たちによってはじめられた三岡の桃づくりは、佐久市の平尾山麓や望月町へとさらに広がった。ゴールデンウィークのころには、三岡ばかりでなく佐久平はブル― の澄みきった空に桃の花と鯉のぼりがひるがえるすばらしい季節を迎える。そして暑い夏になると国道一四一号線の三岡附近には、桃園からもぎとられたばかりのみずみずしい桃が、小さな特設販売店に並べられ、観光客の車を止めている。明治以来、浅間山麓は西洋人宣教師によって避暑地となったこともあって、カシグルミ、カンラン、ブルーベリーなど、それまでになかった西洋の果物が持ちこまれ、新しい特産物が生まれた。その中でも木村熊二の指導と伊一郎父子の努力によって成功した三岡の洋桃栽培は、農家の人々の生活を貧しさから救ったばかりでなく、地域の人たちに大きな富を与えることになった。ここに、伊一郎(二代目) の徳を讃えた論文があるので、抜すいして紹介してみよう。