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概要

塩川伊一郎評伝

二代目伊― 郎の妻すゐ夫伊一郎が亡くなってからは「女実業家」らしさを発揮し出した。工場の従業員や出入りの業者ばかりでなく、缶詰同業者もすゐの力量を認めるようになった。昭和に入ると缶詰とジャム業界は会社が増え、製品の値くずれがはじまっていた。その上に金融恐慌がおきて、不況ムードが高まりつつあった。昭和二年五月の大霜害は佐久の桑や桃に大きな被害を与え、農村の不況が深刻化し、塩川缶詰の経営も苦しくなった。すゐは、夫が築いてきた信用と健実な経営を続け、東洋製缶株式会社の協力を得て苦難を乗り越えていった。折から世相は日本がロンドン軍縮会議から脱退して無制限軍備拡張時代に入り、ヨーロッパではドイツが再軍備宣言を行うなど、再び戦雲がただよいはじめた。しかし缶詰やジャムは西洋の軍隊の食糧としてヽ重要な位置にあったことから、イギリスの大量買いつけがあって値段が急謄したので、工場の経営は好転した。昭和十二年七月中国の北京郊外蘆溝橋で日本と中国の軍隊が衝突し、戦火は拡大していった。十三年に入ると国家総動員法が公布され、すべての物資は軍事優先となって統制されることになった。工場