ブックタイトル塩川伊一郎評伝
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塩川伊一郎評伝
"小諸の文明開化"木村熊二先生と塩川伊一郎父子の業績をたたえて小諸市長塩川忠巳浅間山麓にひろがる小諸市は、古くから佐久と北信濃を結ぶ交通上・戦略上の要地にあり、城下町・商業の町として発展してきた。しかし一面に被れた火山堆積物と寒冷な気候は、農業生産や日常生活には厳しい環境として人々にたちはだかってきた。農業では明治になって江戸時代からの稲や雑穀の生産に加えて養蚕がさかんになり、高橋平四郎による⑮ 製糸工場の創設を契機として、座繰・器械製糸を中心とする新しい工業が発展した。明治二十六年、木村熊二先生が耳取町に小諸義塾を開設し、若者たちに英語・漢文・倫理を教授し、島崎藤村・鮫島晋などの有名な先生方によって新しい文学や芸術の世界へと大きく眼を開かせていただいた。まさに小諸における文明開化がはじまったと言って良いだろう。そして、ここに忘れることのできない人が森山の塩川伊一郎父子である。初代伊一郎と二代伊一郎(勝太)の果樹栽培に対する情熱と、それを導いた木村熊二先生のアメリカ留学による広い知識が、三岡の桃を生みヽ缶詰工場の成功となって佐久地方の農業と生活を大きく発展させることになった。もうひ