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概要

塩川伊一郎評伝

月、尼港事件が起った。日本人がウラジオストックへ渡ることが危険となってこの計画は進めることができなくなってしまった。伊一郎の希望は青島へ向けられた。中国の青島なら、日本の力が及んでいるから、事業を進めることができるだろうと考えた。塩田を買収し、大量に塩を製して、日本へ送ろうというものであった。若いころ、日清戦争のあと台湾へ渡って開拓しようと出かけていった時以来、いやもっと前に東京の原洋義塾で勉強しようとして上京した時以来、彼の意志は大きく外国へ向かっていたのである。若い時は資金がなくて志を果たせないまま、家へ帰らなければならなかったが、今回は何万円という当時としては大きな資本を抱いての海外発展計画であった。しかし、この計画は進めることができなくなってしまった。伊一郎は体調をくずすことが多く、長い海外旅行のような無理をすることができなくなっていた。休むことを知らない頑丈に見えた体も、病魔に取りつかれていたのであった。はちきれんばかりの伊一郎の体が、少しずつやせはじめていたことを家族も気づいていた。