ブックタイトル塩川伊一郎評伝
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塩川伊一郎評伝
三缶詰工場の隆盛と社会奉仕伊一郎の研究と努力は大きくみのって、桃の栽培も缶詰工場も順調な発展をみせた。利益は上がり、農家のふところもうるおった。鳴尾のイチゴ栽培だけでなく、新潟県にも桃づくりを行なった。善光寺平からアンズを仕入れてジャムづくりをした。しかし、それで満足している伊一郎ではなかった。伊一郎は缶詰工場の利益をもとにもっと大きな事業を考えていた。果樹栽培と食品工業で生活の安定を得たが、農村の貧しい生活はまだまだ解消されていなかった。工場の経営を合理化し拡大することや生活を豊かにするためには、安い電気がもっとたくさん使えないかと考えていた。大正の初めころ、佐久に電気がついた。南佐久の松原湖の東の傾斜を利用して八那池発電所がつくられ、町や村に電柱が立って電線が走り、スイッチをひねると電燈がついた。それまでのランプにくらべてずっと明るく、油をついだり、ホヤをみがく仕事もなかった。しかし、一軒で一燈が普通で二燈ついている家は少なかった。それは電気料をはらうお金がもったいなかったからである。「こんな便利なすばらしい電気をもっと近くで起こせないものか」缶結工場の利益で大きな資本を持