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概要

塩川伊一郎評伝

期大学の開設に奔走する。大正八年、東京府立第五中学校創設には、校長として一貫した野外活動を重視した教育を行なった。こうした伊藤校長の教育指導の下、修養隊は、東京を出発して各地に宿泊、登山・水泳・桑つみなどの体験を行ない、それ以後の学習に役立てるという試みであった。伊一郎の新しい産業を興そうとする考えと、伊藤校長の将来の国を背負って立てる人間を育てようとする教育思想が一致して、農園が教場となったのであった。この臨地体験学習はその後も続いた。大正十二年九月、東京や横浜は大きな地震に見まわれた。史上最大の被害を出した関東大震災である。佐久も家はひどくゆれたが倒れるほどではなかったが、夜になると東の空が燃え上がる炎によって赤く見えたといわれている。信越線はかろうじて列車が走っていた。伊一郎は食料不足に悩む東京の人々に救援品として、イチゴジャム二千本を長野県庁を通じて送った。当時の県知事千葉了はこの功をたたえ、昭和四年に伊一郎に褒状を送っている。