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概要

塩川伊一郎評伝

を走り、市村・中佐都停留所を過ぎて岩村田へと工事は順調に進んだ大正四年八月九日、小諸十中込間が開通、蒸気機関車が小さな客車を引いて走り出した。馬車や人力車に比べてずっと早く、乗りごこちも良かったことから、運賃は比較的高かったが客は多く、会社は大きな利益を上げた。その勢いをかって、鉄道は中込から南へのび、羽黒下へ小海へと二期・三期の工事が進められた。大正五年、東信新報社と信濃佐久新聞社主催による観桃会が開かれた。「信州一の三岡桃林」「好機逸す可からず」との見出しで四月三十日の日曜日に行なわれた。会費は五○ 銭であったが、それには汽車賃も弁当代も含まれ、どこの駅からも乗れるということが好評を博し、二十七日には予定の一三○ ○ 人を超過して締め切るほどであった。(『信濃佐久新聞』大正五ヽ四・二八日号)三十日は夜来の雨もあがって晴れわたった。小諸駅では、鉄道院から借りた客車を増結して六輌編成の列車が、羽黒下駅に向かった。土橋駅(現三岡駅) からは、塩川伊一郎工場から仮装した数人が歓迎のために乗りこんだ。午前十時十四分、羽黒下駅から約一○ ○ 人を乗せて出発、途中の各駅から会員を集めながら岩村田駅に着いた時には五○ ○ 人以上にふくれ上がっていた。満員で乗れないので、有蓋貨車を連結してお客をのせた。「動物の汽車博覧会だ」とぐちを言う人もいたが、お祭気分でにぎやかなうちに土橋駅へ着いた。駅の南一帯は桃の花が満開となっており、新聞社の旗が風になびく松林では酒やだんごがとぶように売れた。人々は花畑に草原に「今日は命の洗濯日」とばかり手を取り合って花と酒に酔った。(『信濃佐