ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play

概要

塩川伊一郎評伝

七塩川桃園と三岡のにぎわいー視察あり観桃会ありi各地の博覧会や共進会に出品された洋桃やイチゴの缶詰が賞讃され、賞状がおくられると、塩川伊一郎の名声が高まった。伊一郎の桃栽培は、明治四十四年、東京帝国大学(今の東大)農学科主任横井時敬の注目するところとなり、四月一日、農学科実科三年生三〇人が職員に引率されて、森山の塩川桃園とイチゴ畑を実地視察に訪れた。当時の日本の桃栽培で、最も進んだ桃とイチゴ栽培について、学習することになったのである。(『信濃佐久新聞』、明治四四・一三・二九日号)伊一郎は二十年余にわたる果樹栽培の失敗をはじめ、研究・工夫によってつくり上げてきた経過を学生たちに桃畑の中で熱心に語った。木村熊ニの指導のもとに試行錯誤をくりかえしながら、伊一郎はつきあたった難問を一つひとつのり越えてきたことを話した。それを聞いた学生たちが「東京からはなれた信州の片田舎に、こんなすぐれた研究と実践があったことに驚かされた」と言ったことが、伊一郎家に語り伝えられている。その年の四月十日、桂太郎総理大臣が特別列車で小諸駅に着いた。伊一郎は大山綱昌長野県知事の紹