ブックタイトル塩川伊一郎評伝
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塩川伊一郎評伝
『嗜好』の文から一部を抜すいすると、「我が国にも斯の如き精良なる苺ジャムあり」MYジャム浅間山下清鮮の地を劃せし苺園少女の集むるルビーの如き紅玉中天高く不断の煙を吐く信州浅間山下、空気純潔季候清麗の地十数町歩を劃して之に果樹園・苺園を設け、それに缶詰工場をも建築して、専ら果実ジャムの製造をなすものは実に彼の有名なる同地北佐久郡三岡村の塩川氏の事業であります。毎年初夏の候に入ると小諸駅附近の鉄道線路に沿ふて早乙女の田植笠のそれのやうに、赤襷の少女の群が嬉々として笑ひ興じながら、青草の褥を分けてルビーの如き紅玉を採取するを見るのは、其の農園に缶詰用の苺を摘みつゝあるの光景であります。而して粒撰のMY苺ジャムは実に其の少女の手に依つて撰出らるゝのであります。良種の撰択、塩川氏は此の地方に於ける苺園の開祖として数多の苦い経験と研究とを経て成功した人でありますから、種類の撰択に就ては充分の監識を有して居ります。即ち苺は生食用と製造用で種類が違ひ、粒にも亦白色・黄色・紅色等の差違があって、夫々用途を異にして居るのでありますが、其の区別を辨へずして是等を混同して製造すると、製品は劣等となって到底舶来品に桔抗することは出来ないのであります。夫故塩川農園では、仏国と米国とより製造用種を直接に取寄せ、漸次之を繁殖させて十年の年月を経て今の苺園を完成するに至った次第であります。而して苺の採集に就ても