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概要

塩川伊一郎評伝

伊一郎の半生が「農業世界」に掲載されたジャムの販売について特に大きな役割を占めていたのが、東京の明治屋との取り引きである。明治屋は「世界のベスト(〇d国ω↓)を商ふ」をモットーとした明治以来の食品のしにせであり、当時の西洋人や日本の上流階級に顧客が多く、厚い信用を得ていた。キリンビールヽジヨンブラウンのウイスキー、ベンネッシーブランディ、モーチェのブドー酒、クリスタルシャンペン、小岩井のバタi 、東郷印コンデンスミルクなど多くの世界的な良品を扱って、客に勧めていた店である。その明治屋が信州名産のイチゴジャムを特約販売することになった。塩川伊一郎の製造場で、明治屋の指定した方法で製造し、M Y ジャムと名づけて売り出したのである。(『嗜好』明治四四・一○ 月号)その頃、伊一郎の名声は高まり「信州における農会の恩人」と尊敬されるようになり、雑誌『農業世界』において「農界十傑」の一人として功績をたたえられるまでになっていた。(資料編五参照) 『信濃毎日新聞』では、明治四一・一○ ・二五日より伊一郎を「佐久の園芸王」として一○ 回にわたって連載し、幾多の失敗にもめげずに遂に成功し、浅間山麓の火山灰土を沃野に変えた人物として報じた。(資料編四参照)