ブックタイトル塩川伊一郎評伝
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塩川伊一郎評伝
宮家御愛用品であることがわかる長野市酒缶株式会社、東京日本橋区国分勘兵衛、京橋区精養幹、大阪市安土町祭原伊太郎らの名前のほか、東京・横浜・名古屋、京都・大阪・神戸・北海道など全国各地ばかりでなく、台湾・釜山・京城・上海・香港・シンガポ― ル・布哇・サンフランシスコ・ロンドンと世界各地で販売していると書いている。塩川家の座敷に今も掲げられている額は、明治四十三年四月に明治天皇・皇后と皇太子殿下に、「イチゴジャム四箱」(口絵参照)を献上した時のものである。渡辺千秋宮内大臣から、大山綱昌長野県知事あてに、伊一郎よりの献納品が天皇家へ差上げられたという文章である。これは多くの賞状や額の中で一番大切に保存されているものである。今の象徴天皇とちがって、明治末期の天皇は日本国の統帥者として大きな権利を一手に持っていた時代であったから、製品の良さを内外に示したことになった。ところで、渡辺千秋宮内大臣は、弟国武と共に、大久保利通に抜てきされた諏訪の高島藩士である。弟は大蔵大臣、千秋は宮内大臣となり、明治政府の中枢を支えた実力者である。渡辺宮内大臣にしても、同郷の信州人からの献上品ということは、いたく誇りであったにちがいない。